嘘つきの王様 ホリエモン

ホリエモンに関するエピソードについての多くの疑問と疑念、そして、私なりの推認的解釈


<前提条件>
1.著名人、あるいは特筆すべき人物については、Wikipediaにその情報が記述されている。本人または、それに近い人、あるいは、悪意を持つ人が、事実と異なる書き込みを行なった場合、ボランティアで編集を行なう人々がその削除や編集を行い、出典をつけたりする。
2.ホリエモンこと、堀江貴文も例外ではなく、刑事事件を起こし、実刑判決を受けた人物なので、その経緯については非常に長く、詳細にわたって、記述されている。
3.ホリエモンが起こした事件は、一般にはあまり知られていない罪状で、簡単に言えば、上場会社として、多少の計画めいた話をして先行きに対して期待をさせることがある程度、許容されるものだとしても、全く事実無根で、わかりやすく言えば、嘘八百の投資家向けの広報を行なえば、その行為、また、それによって稼得した、不当な株価上昇による得失は不当なものであり、証券取引法に違反するのみならず、有価証券偽造、偽計取引、悪意のある風説の流布などに当たり、重い刑事罰を受ける、ということのようだ。
4.最近では、東芝の粉飾決算が問題になっている。3代以上にわたって社長を含む役員が巨額の財政赤字を隠蔽し、あたかも黒字で、財政的に問題がないかのようにふるまってきた。ホリエモンの作ったライブドアのようなちっぽけな店頭公開会社と異なり、東芝は、日本でも有数の巨大企業であり、多くの国費を投じて国策事業にも取り組んでいる会社である。そこで、粉飾に関わった社長や取締役は、辞任などの形で責任を取ったというが、株価の暴落などで与えた損害の規模からいえば、ホリエモン以上のはずで、なぜ彼らが実刑を受けないのか、個人的には疑問がある。
5.ただ、ホリエモンは、一連の不当な行為について全く反省していない。ある意味で、冤罪、あるいは、言いがかり程度にしか思っていない。そして、その反省していない点を重く見た裁判官は、4年の実刑判決を言い渡し、ホリエモンは服役した。それでも、ホリエモンは反省したと思えない。それは、ホリエモンには、社会常識や法律遵守の意識が全く欠落しており、これは推認だが、虚偽の告白や発言、誇大な表現は、修辞のために必要なことで、何ら悪いことではないという認識があることだろう。また、ホリエモンにおいては、何が正しいか、正しくないかは、あまり重要ではなく、また、都合のよいところでは、話を膨らませ、不都合なことには言及しない、という、端的には、嘘つき、オオカミ少年のなれの果て、というほかない性質と傾きがあると言わざるを得ない。
6.さて、この小論では、ホリエモンという現在でも40歳代。まだこれからも言論や著述で活躍するだろう、前途ある壮年期の人物が語ったらしい言説について分析し、考察を加えたい。そして、その際、どの程度、虚構性、虚偽性、欺瞞性があるのか、それは1つの論点になる。
7.なお、言説は、特に引用のない限り、Wikipediaにある、来歴、生い立ち、収監されるまでの出来事が中心となる。裁判の争点は、量刑の程度を問わず、有罪となった以上、これは、検討すべき課題とはならない。そして、放免された後の言説にもまた、注目してみたい。

<言説とその分析・考察>
1.その「生い立ち」には、父親が訪問販売員で、百科事典をよく読んだという。ただし、記述は「最初から最後まで通読していた」というのは虚偽だろう。また、「百科事典通読のお陰か、小学生時代の堀江はずば抜けて成績優秀」だったとある。堀江の育ったのは、福岡県八女市という茶畑で有名な田舎で、そこで優秀でも、都会とは事情が違う。また、小学生に対する通信簿は、大雑把に表記されているのが現状で、学年における席次などが明示されていたわけではないから、「ずば抜けて優秀」と本人が思っていただけで、それを裏付けるエビデンスはない。端的に言えば、嘘だ。
2.また、真面目ではなく、掃除や日直の仕事をせず、気に入らないことがあれば、取っ組み合いの喧嘩をした、という。これは、本当だろう。少年時代の堀江は、普通の子どもなら、当然やる、掃除や日直の係を、やろうとしなかったのは、その反社会性人格を示すもので、それは、協調性の問題ではない。また、気にいなければ、かんしゃくを起こして喧嘩したのは、自己中心性を示すエピソードで、これは、堀江の性格の基調となっているものと言ってよい。
3.小学校の教員が、堀江に学習塾に通うよう、勧めたとあるが、何らかのきっかけはあったとは思われるが、公務員である教員が、児童の一人に学習塾通学を勧めるとは考えにくい。いずれにしても、塾通いの結果、九州では著名な進学校である久留米大学付属中学・高校に入学した。
4.さらに、中学2年次に、本格的なパソコンを購入し、そのパソコンで「通っていた塾の教材システムの移植作業を一人で行なった」とあるが、これもまた、本人のでっち上げだろう。そもそも、教材が紙ベースであるのはわかるが、どんなシステムなのか、はっきりしないし、移植作業とは何なのか。医師の臓器手術でもあるまいし、何をどう移植したのだろうか。
5.高校時代は友人の家に泊まり込んで麻雀をし、ゲームセンターやビリヤードをやって、ほとんど勉強しなかったとある。ある程度遊んだことは事実かもしれない。しかし、ほとんど勉強しなかったというのはどの程度なのだろうか。久留米大付属は進学校ではあるが、灘高などのように、下位の成績でも東大に受かって当然の生徒がいるようなレベルではない。遊びながらも、東大に受かるレベルの勉強はしていたはずである。したがって、高校3年の夏になってようやく、受験勉強にとりかかったのは、どう考えても不自然で、入試科目の少ない早慶ならありうるが、5教科7科目で、記述式だけではなく、択一式で幅広い科目について暗記を求める現在の東大入試に、半年間だけの勉強で受かったというのはにわかには信じがたい。
6.東大入学後、理系に転じて理科系の学部に進もうとした、とある。文系でも経済学や心理学などは、数学が重要で、東大経済の大学院には、統計学専攻があるほどだ。いくら文系で数学が得意だと言っても、理系で入ってきた学生の比ではないだろう。そうしたこともあり、理科Ⅰ類などに入って経済学部に移った例は少なくない。また、心理学以外でも、考古学など理学系に近い分野が文学部には少なくない。さらに、教育学部も同じ。したがって、理系から文転は正確には不明だが、例年、二ケタの進級者がいるものと考えられる。また、宇沢弘文など理学部数学科を出た後に、経済学者になった者もいる。制度上、文系から理学部などに行くことは可能であるようだ。
http://todai.info/shinfuri/
この10年のことなので、ホリエモンの在学中よりは後のことになるのだが、東大の進振りに関する情報を掲載したサイトがある。これによると、文科系から理科系の学部に進んだ例は、理学部、工学部、農学部などでゼロ、薬学部は10年で3人、医学部は文科系全体から毎年1名だけ進級させているようだ。東大では2010年に、文学部の人気学科(社会学や社会心理学、心理学など)に他の科類からのほうが容易に入れるという実態を改め、同じ土俵でスコアを出さないと入れないようにした、という。
端的に言って、中学時代、最新のパソコンでシステムを作ったとか、プログラミングをしたのも怪しいが、文科Ⅲ類から理工系を目指して一時的にでも頑張ったというのは、進振りの実態を知らなかったのではないかとしか思えない。
7.大学入学後は駒場寮に入ったという。そこで、麻雀部屋に入り浸っているドクターが「国からの研究費」がつかずに劣悪な状況にあった、とある。そして、それを見て、東大でドクターを取っても、こんな状態なのか、と思ったというが、勘違いも甚だしい。まず、駒場は教養課程である。総合文化研究科という大学院はあるが、理系の院生などほとんどいない。また、麻雀部屋に入り浸るオーバードクターなのだから、博士号は持っていても、その後、真面目に研究しているとは思えない。さらに、理学系など理科系では、博士号がないと、論文の投稿や学会報告すらしにくいということで、大半が最短の5年、遅くとも6年で博士号を取得するまでには至る。しかし、そこからの数年が勝負なのだ。また、国からの研究費というのは、文科省の給費生のことだと思われるが、東大だから全員が支給対象になるわけではない。これは、全ての大学の博士号取得者を対象にしてその実績に即して決められるものだ。その対象にすらならないオーバードクターは大学に残れない。そもそも過剰に博士を出している大学にも問題があるが、運不運や専攻分野、指導教授の力など、本人の実力と努力以外の要素もある。しかし、東大で博士号を取っても、どこかの大学に職を得るのは半分程度に過ぎない。
8.駒場の教養課程を終えて、文学部思想文化学科宗教学宗教史学専修に進級した。なぜか、進路やアルバイトなどについては詳しく書かれているのに、この宗教学に進んだ理由は何一つ書かれていない。ただ、大学にまともに通った形跡はなく、塾講師のアルバイトや競馬に熱中していた、とある。文科Ⅲ類は、文学部ないし教育学部に進むための学科類なので、基本的にどこの専修に進んでも進路は有利ではない。あえて言えば、教養学部に進んで、そこなら、進路が見出しうるが、これは相当、成績が優秀でないと難しいようだ。教養学部からなら、外交官になることも無理ではないようだが、文学部を出て外交官になった人は多分、ゼロだと思う。
9.東大には私学にはない学科や専修課程が多く設置されている。例えば、西洋古典語古典文学専修があり、ギリシャ語とラテン語、そして、それらで書かれた哲学書や文学を学ぶという学科がある。慶應でもその気になれば学べなくはないが、東大の場合、学科になっているので、学部時代から、その勉強に専念することができる。また、語学別に文学の学科が置かれているのは私学も同じだが、それと別に横断的に比較しながら学ぶ学科も置かれている。もし学問的な意欲があれば、東大の校風がベストとは思えないが、私学の早慶よりはるかに環境はよい。
10.宗教学宗教史という学科は、私学には皆無で、東大以外では京大くらいにしかない。しかし、ここは、印度哲学科と並んで、外部から編入や学士入学がしやすいという伝統がある。なぜか。印哲、宗教、イスラムの3つは文学部でも特に就職に不利で、ほとんどエントリー段階で弾かれるからである。弾くのは企業側の偏見だが、これらの学科に進むのは、相当、向学心があり、研究者を志す人か、文Ⅲでも、成績が壊滅的に悪い学生がこぼれ落ちてくるところでもある。端的に言えば、ホリエモンは、東大に受かったことは事実だが、就職もない、起業するにも役立たない、受験産業くらいしか受け皿のないところにいて、卒業しても中退しても差がない。むしろ中退しているほうが、健全と見られる学科に在籍し、おそらくその分野の基礎的なことも知らないまま、本郷のキャンパスをうろつき、アルバイトなどをしながら、呆然としていたということだ。
11.大学4年次には「中学時代に培ったプログラム技術を活かしてプログラマーのアルバイトを始めた」とある。この話をすんなりと、なるほどと聴けるだろうか。8年間のブランクがあるのである。中学時代に、ブラインドタッチを覚えたのが役立ったというなら、わかるが、コンピュータ言語は日進月歩で変わり、その変化に応じて、上流工程を担うシステムエンジニアは陳腐化しないが、プログラマーは使い捨てられていく。ここで言うプログラムが、エクセルの関数や簡単なマクロというのであれば、この10年ほどそう変わっていない。私自身、20年前に使っていた関数(vlookup)が今でもエクセルでは上級者向けの関数になっているくらいだからです。
12.プログラマーからインターネットに出会い、HP作成会社として成功したとあるが、HP制作は当初、素人にはドメインを取るなどやったことのない人には不明なことがありました。しかし、HP制作はデザインだけの問題で、プログラム技術としては高度なものではない。逆に言えば、そこに移行する程度だから、プログラム技術自体は、事業化するほどのものではなかったと言える。ただ、事情はともかく、いくつかの大型受注をすることには成功しており、これは、訪問販売をしていたという父親譲りの営業力があったのだろう。
13.頃合いを見て、会社は首尾よく上場した。HP制作だけでそこまでやったのは技術力ではなく、並々ならぬ営業力で、中退とはいえ、東大出身の人物としては稀有のことだ。このような営業力を過去に発揮したのは、やはり東大文科Ⅲ類、教育学部卒の江副浩正くらいだ。リクルートの創業者で、最後は国会で招致され、疑獄事件の主犯格として晩節を汚したが、残された会社は、東大出身者が起業した数少ない会社で、しかも、独自の業界を作り出して、プレゼンスは既存の大企業並みだ。
14.江副は東大を卒業しているが、教育学部など卒業しても企業への就職はほぼ絶望的だ。江副もまた、最高学府に学びつつ、エリート意識を持ちながら、進路が閉ざされていることにやりきれない気持ちを持っただろう。江副が文学部に進まなかったのは確たる理由は不明だが、文学や歴史、哲学などに興味がなく、たまたま文Ⅲに入り、教育学部のほうがまだ居心地がよさそうと思ったのだろう。江副は、東大新聞に属し、東大という看板を利用して東大出身の社長や経営層に食い込み、新聞の広告をかき集めることに奔走した。そして、就職することもなく、その延長線で起業し、現在のリクルートを作った。リクルートは、知的なイメージもあるが、それは単にイメージに過ぎない。そんな人は一人もいない。リクルートは、典型的な体育会系組織であり、ブルドーザーのような営業戦士、神風特攻隊で、ギリシャ像か、プロのラガーのようにスクラムを組んで客に突進していく組織だ。あれこれと事業をやっているが、リクルートで磨いた強靭な営業力で、大したコンテンツもないのに起業に成功している者がゴロゴロいる。
15.上場後のことは言及するまでもないだろう。毎日株価を気にして、連日、小泉が劇場型政治と言われたように、劇場型経営を行ない、嘘とはったり、ホラを積み重ねて、コンドームを膨らませて、ペットボトルくらいの風船作って、女の子とラブホのベッドでドッジボール遊びするような生活を送りながら、証券市場を利用して富豪となっていった。その後、風船がパーンと割れて、ホリエモンは、奈落の底に落ちた。しかし、落ちてもなお、その口から出てくる出まかせは止まらなかった。ただ、それだけのことだ。

以 上